最初の読者は、自分
最初の読者は、自分
サイトの読者を決めようとすると、多くの人が「30代の女性」「20代の会社員」のような決め方をします。方向としては間違っていませんが、この決め方には続きがあります。層で止めずに、実在する一人まで決める、という続きです。
ライフスタイルブログを書いている方なら、その一人にはもう出会っています。自分です。暮らしの中で調べたことを自分のために記録しておけば、それを読むのは、同じことをまた調べる未来の自分です。読者を一人まで決めるという話は、この「自分のために書く」の続きにあります。
ここでは、雑誌の編集長の実例と、マーケティングの手法を手がかりに、読者を一人まで絞り込む考え方を説明します。そのうえで、個人のサイトでのやり方を紹介しますので、自分のサイトならその一人は誰になるか、考えながら読んでみてください。
「30代の女性」に向けては、書けない
「30代の女性に向けたサイトにしよう」と決めて、いざ最初の記事を書こうとすると、手が止まります。30代の女性と、ひとくちに言っても、独身で仕事に打ち込んでいる人もいれば、子育ての真っ最中の人も、親の介護が始まったばかりの人もいます。住んでいる場所も、使えるお金も、抱えている悩みもばらばらです。「30代の女性」という言葉は、大勢を指しているようでいて、実際には誰のことも指していません。
それでも層に向けて書こうとすると、文章は自然と、誰にでも当てはまる書き方になっていきます。誰にでも当てはまる記事は、裏を返せば、誰の悩みにもぴったりとは合わない記事です。読んだ人が「これは私のことだ」と感じる記事は、そこからは生まれにくいのです。
そこで、読者を実在する一人まで決めます。年齢と性別のラベルではなく、顔と事情の浮かぶ、具体的な一人です。思い切った絞り方に聞こえるかもしれませんが、この決め方には、雑誌の世界とマーケティングの世界の両方に裏付けがあります。順番に見ていきます。
JJの編集長は、700人の読者に会いに行った
女性ファッション誌『JJ』の編集長を務めた今泉祐二さんは、読者のターゲットを25歳前後から大学生へと設定し直したとき、国内外で700人近くのスナップ写真を撮り、いま彼女たちが何を知りたいのかをリサーチしながら、誌面を作り直したそうです。
ターゲットの変更だけなら、会議室の中でもできます。「25歳前後向け」と書いてあった企画書を、「大学生向け」と書き換えれば済むからです。しかし編集長はそうせず、実物の読者に会いに行きました。昔なら「この服を着ればおしゃれに見える」という切り口が成り立ったけれど、いまの世代はそうではない。「リアルなことじゃないと読者にはもう響かない」と語っています。読者のリアルは、会議室の中の「大学生」というラベルからは出てきません。一人ひとりの実物を、700人ぶん確かめるところまでやったわけです。
雑誌づくりのプロが、読者を決め直すためにここまでしている。ここから受け取りたいのは、読者を決める作業は、ラベルを貼って終わりではなく、実在の読者にたどり着いてはじめて終わる、ということです。
一人に刺されば、同じ人が必ずいる
とはいえ、読者を一人まで絞ることには、不安がつきまといます。たった一人に向けて書いたら、読者が一人だけのサイトになってしまわないか、という不安です。
この不安には、マーケティングの世界が答えを出しています。N1分析と呼ばれる手法です。N1分析では、大勢にアンケートを配るのではなく、実在する一人の顧客と1対1で何度も対話して、深く掘り下げます。その土台にあるのは、実在する個人が強く感じている課題は、その人だけの問題ではなく、同じように感じている潜在的な顧客が必ずいる、という考え方です。
対照的なのが、大量アンケートの平均です。1,000人に聞いて集計すれば、確からしい数字が出てきます。ところが、この平均からは洞察が生まれないとされています。平均は、大勢の答えをならした値であって、そのとおりに感じている人はどこにもいないからです。誰でもない「平均の人」に向けて作ったものは、誰の心にも強くは刺さりません。だからN1分析では、最初に大胆に一人へ絞り込むことが大事だとされています。
JJの700人スナップも、話の芯は同じところにあります。700という数だけを見ると大量調査のようですが、編集部がしたのは、アンケートを集計して平均を出すことではなく、実在する読者の実物を一人ずつ見ることでした。読者のリアルは生身の一人からしかつかめないという点で、雑誌の現場とマーケティングの理論は、同じ場所を指しています。
一人まで絞っても、読者は一人になりません。その一人が強く感じている悩みの向こうには、同じ悩みを抱えた人が必ずいるからです。むしろ、層に向けて書いた誰にでも当てはまる記事のほうが、結果として誰にも読まれないサイトを生みます。
最初の一人は、昔の自分
では、個人のサイトでは、その一人をどうやって見つければよいのでしょうか。編集部のように700人を撮りに行くことはできませんが、いちばん深く付き合える一人が、すぐ近くにいます。昔の自分です。
何かを調べていて、検索しても検索しても、知りたい答えにたどり着けなかった経験はないでしょうか。そのときの自分は、まぎれもなく実在した一人の読者です。何に困っていたか、どんな言葉で検索したか、出てきた記事のどこが的外れだったか、本当は何を教えてほしかったか。すべてを覚えているのは自分だけです。N1分析の柱は実在する一人との深い対話でしたが、昔の自分が相手なら、いつでも、いくらでも対話できます。
洗濯機を買い替えるときに比べたことを記録しておけば、それは同じ機種で迷っている人に届きます。自分のために書いた記録が、そのまま一人の読者に向けた記事になっているわけです。
あの日の自分が読みたかった記事を書けば、いま同じ言葉で検索して、同じように答えにたどり着けずにいる誰かに届きます。検索しても見つからなかったという経験は、その答えを書いたサイトがまだ足りていないことの表れでもあるのです。
身近な一人に聞く、生の声を読む
昔の自分が読者にならない場合もあります。これから学ぶテーマでサイトを作るときは、昔の自分はまだその悩みを通っていません。その場合は、外に一人を探しに行きます。
ひとつは、身近な一人に聞くことです。家族、友人、職場の同僚。「まさにその読者」と言える人が身近にいるなら、何に困っているか、これまでどう調べたか、何が分からなくて放り出したかを、直接聞いてみます。1対1で、相手の事情ごと深く聞けるこのやり方は、個人にできるN1分析そのものです。
もうひとつは、読者にあたる人が自分で書いた言葉を読むことです。SNSの投稿、記事や動画のコメント欄。そこには、その人自身の言葉で書かれた悩みや質問が残っています。読むときのこつは、集計しないことです。「こういう質問が多い」とまとめてしまうと、せっかくの生の声が平均に戻ってしまいます。強い言葉で書かれた一件、事情まで書き込まれた一件を、一人の読者の声として読みます。
一人が決まると、記事の顔つきが変わる
一人まで決めると何が変わるのか、作例で確かめてみます。キャンプのサイトを作るとします。
「これからキャンプを始めたい30代の親」まで決めれば、書く記事はある程度見えてきます。ここからさらに、一人まで下りてみます。たとえば、車を持っていない。道具も何ひとつ持っていない。子どもは4歳で、虫が苦手。お金をかけて出かけて失敗し、子どもに「キャンプは嫌だ」と思われてしまうのがいちばん怖い——。
ここまで決まると、記事の顔つきが変わります。「初心者のテント選び」という誰にでも当てはまる記事が、「電車とバスで行けて、道具を全部レンタルできるキャンプ場の探し方」「4歳の子が飽きたときのための持ち物」という、その人のための記事になります。紹介する道具や広告も、高価な一式の買いそろえではなく、レンタルや手ぶらのプランが中心になるでしょう。そして、この一人の事情は、この一人だけのものではありません。車を持たずに子育てをしていて、初めてのキャンプで失敗したくない親は、必ずほかにもいて、同じような言葉で検索しています。
決めた一人は、メモに残しておきます。名前まで付ける必要はありませんが、その人の状況、いちばん強い悩み、検索しそうな言葉を、数行の文章で書いておきます。「30代の女性」という一行しか書けないなら、まだその一人に会っていないだけです。昔の自分を思い出すか、身近な一人に話を聞きに行くところから始めてみてください。読者の顔が一人ぶん浮かんでいれば、記事のテーマに迷ったときも、書き方に迷ったときも、その人に聞けばよくなります。
決めた一人は、あとで入れ替わってかまいません。書く柱が移れば、いちばん近い読者も移ります。そのときは、メモを書き直せば済みます。